SSブログ

Love you forever 18 [愛猫 Cappuccino]

とある写真家の展示が心に残っている。
名前は忘れた。彼は、彼女の写真を撮り、彼女は精神病に冒されていて、あるとき彼は本格的に写真を撮ることを決意し、彼女がこの世を去ってから写真を整理した。
決意してからの写真は、写真家としての気構えが写っている。構図も、ピントも、露出も。それ以前に撮った写真は、ある意味いい加減。ある意味お気楽。写真にエネルギーが注がれていない。
写真展によせた彼のコメント。彼女がこの世を去り、写真をまとめていて、自分が最も救われたのは写真家としての心構えを持つ以前の構図もピントも露出もいい加減な写真達の存在だった。
この写真家の存在と彼のコメントを近頃よく思い出す。
nice!(0)  コメント(5)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 5

gyobrin

何気ないものの尊さ、ですかね。
by gyobrin (2008-11-17 00:19) 

テレマーカー

力の入っていない写真の、本当の価値。儚い価値。 私は友人を先シーズン雪崩で亡くしました。写真ヤとしては、もっと最良の一枚を、残したかったと、もっと沢山のショットを残したかったとも思っています。 もちろん、今居るフェレットにも。 でも、確かにその中の何にも考えていない写真は、自分も構えては居ない。自然体であると言うこと。 意図していないからこそ、自然で切ない瞬間を残す時がありますね・・・。何気ない横顔とか・・・。 その時の愛情こそが、綺麗な写真なんかよりも力を持つ。と言うことなのでしょうか・・・。 写真を撮ろうとして撮ると、写真になりにくいものはシャッターを切りにくくなります。 しかし・・・、残したいものって・・・ こだわる事無く撮り、残った写真・・・ スナップ写真の理想は、その両方が成立している事なのかも知れませんね・・・。
by テレマーカー (2008-11-21 23:05) 

junjun

今年の3月に長男が誕生したので、よく子供の写真も撮るようになりましたが、妻が撮る写真には勝てません。 写真は技術はもちろんですが、それ以上に、被写体の撮影者に対する気持が大きいのだと感じる、今日この頃です。 そう言う意味では、ポンプキンを撮らせたら自分が一番という自信はあります。 撮る側もお気楽、撮られる側もお気楽。そんな日常の空気は、何ものにもかえ難いものだと思います。
by junjun (2008-11-24 12:23) 

naochago

テレマーカーさん、レス遅くなりました。 昨シーズンにそんなことがあったのですか・・・何と言ってよいやら。お悔やみ申し上げます。 山を一緒に過ごした友人の最良の1枚って、どんな1枚だったらよかったのか。一緒に冒険した仲間だったら、何気ない瞬間も、あるいはかっこつけてばりばりで撮った写真も、どちらもきっと大事に違いありません。 今年の6月頃にとある写真講座で「身近な人間を撮る」という課題をもらったとき、長野に住んでいる釣り友やミュージシャンの友人を撮りに行きました。その際、友人を表現するためにはやっぱり1枚には絞れなくて、全身のポートレート、ONの真剣な表情2枚、OFFのくつろいだ何気ない表情、の4枚構成にしました。 写真を撮るという行為を意識するようになると、写真に自分の意図が写ることは避けられない。それは表現手段でもあるし、呪縛でもある、そんな風に思います。
by naochago (2008-12-07 23:35) 

naochago

junjun さん 反応にぶくてすいません。 奥さんが撮るお子さん、junjunさんが撮るポンくん、ともにおっしゃるとおり、撮影者に対する被写体の信頼の深さが他の撮影者とは全く違うのでしょうね。 先日とある写真家に、君のねこ写真は独特で面白いね、と評価してもらったのですが、街中でとるにゃんこたちがぼくの存在を受け入れてくれて、それが写真に写せるようになるとすばらしいなぁ・・・と思います。 被写体が撮影者を完全に信頼していないと、本当に自然で何気ない愛おしい風景は撮れないんだろうなぁ、と思います。深い信頼関係の上で、撮影者も被写体も写真を意識せずに撮られた写真・・・味わい深いですよね。
by naochago (2008-12-07 23:43) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

Love you forever 17Love you forever 19 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。